行政に支配される司法
私がいくら行っても聞く耳を持ってはいただけないので、このような記事を借用するわけであるが、私が訴えてきた問題点を簡単に列挙しているのでこの記事はとてもいい。
著名な評論家はこのように論旨を短くまとめた文章を書いていただけると利用しやすい。たくさん書いてあると総論賛成各論反対とならざる終えない。下手をすると各論賛成総論反対である。
さて、この記事についてであるが、司法が行政に支配されている現実について簡単に述べている。砂川判決などみれば普通に解釈するに完全に「違憲判断」なのである。
「違憲」なれども、外交に司法が口出しは不都合がある。ということであろう。
ちがーう。まず国家ありき、その運営をする中に外交があるのであり、別に外国がなんと言おうと憲法違反をする必要はない。
軟弱な裁判官ばかりだからそのような考えになるのだろうが、どこのだれが自分の信条に反する行為を是とするのか。
裁判官はバカみたいに法律に忠実でよいのである。それこそ仕事だ。そこから逃げた裁判官なんぞさっさと辞めていただきたい。しかし、最高裁判事など、行政に人事権を握られているので、行政不利に判決を出せば冷や飯決定となる。ちょっとでも長くうまい飯を食おうと思えば裁判官といえど行政におもねらざる終えない。だから結果として行政による司法の支配を受け入れざる終えないことになるという仕組みである。
下級審も同様にたちが悪いので、行政訴訟については大抵住民不利の判決が出る。それを顕著に証明するのが、弁護士の対応である。不利なのがわかりきっているので、弁護士はなかなかやろうとしない。成功報酬を期待できないから手付金を高額に設定する。
ちなみに下級審で行政敗訴を出した判事は、良くて高等裁判所、悪ければ地方裁判所を犬のようにぐるぐる回らされるらしい。「トントン、静粛に」なんてかっこいいことやってるのはごく一部なのである。多くは原告被告の提出する膨大な資料を読まされて、自分の考えを紙ペラ1枚にしたためるというようなつまらない仕事をエンエン繰り返しているのだ。良い仕事をしても評価されることはない。仕事以外が大事になってくるのである。行政を刺激しないこと、それこそ彼らの本懐である。
選挙の区割り問題しかりだろう。きちんと仕事をする判事が出るまで、選挙の投票はせずとも国民審査はすべてバツで出すべきである。私は裁判員制度開始以来すべてバツにしている。