世界で初めて戦争をなくすプロセスを説明する

日本は第2次世界大戦後、戦争をなくそうと決意した世界市民の理想を描いた国連憲章の精神を最も色濃く実現した平和憲法を持つ国ですが、昨今その憲法を改正し、平和へ向かう気持ちに逆行する動きがあることを憂慮しております。憲法の精神を忠実に実現するなら、戦争を無くすことができ、ひいては国防も成るのです。そのために全力を尽くすと決心を示した日本人としての誇りを堅持しよう。

鉄の流通管理が刀狩の効果を担保する

 前回は15mm以上の火器を管理することの具体的要領と効果について説明しました。武器さえなくなれば武器を使用した衝突は防げます。しかし周囲に現存する以上それらを放棄することはできません。一元管理によりその保有の目的を担保してやりつつ、刀狩を進め、常設軍加盟国から平和を確立していきます。最終戦争が起きないうちに圧倒的な規模の兵力を常設軍が身に付けられれば、最終戦争も防げます。

加盟国が一国でないことは、継戦能力も担保します。ヤマタノオロチのように、一箇所を攻撃されて壊滅しても別の国から攻撃をする。不法行為をした国への制裁は加盟国が全滅するまで継続できます。当然攻撃を受けることなく相手の意思をくじく戦略とそれを保証するシステムを構築します。

さて、今回はその刀狩を担保する方法について、説明します。

言うまでもなく戦争には油が必要です。しかしそれを使うための鉄もまた大量に必要とされる資源です。キロ単位で鉄、鉄鉱石、くず鉄の流れを管理することで、何に使用されているかを把握し、兵器の密造を防ぎます。

キロ単位でも細かすぎるほどです。トン単位でも良いくらいですが、この辺は様子を見て調整して行くことになると思います。極秘に鉄を集めて武器を生産できないようにしなければなりません。

大変な管理になると思います。鉄を使用する製品については、その鉄使用量について一つあたりの重量を算出させ、出荷量とあわせなければいけません。それらの確認機関も必要となります。しかし、これ以外に不要な兵器の生産を制限する方法は思いつきませんでした。

この目的はあくまで管理外の武器生産を制限することにあります。他の手段で可能であれば変わる手段をとることもあります。また、これは加盟国に要求する必須事項となります。全ての加盟国が常設軍理事会の査察対象となります。

全ての国が加盟した場合でもこの管理は継続されることになります。

DVD紹介---永遠の0(零)

遅まきながら 拝見しました。

百田さんの原作なんですね。

向井さんのドラマの方を見たのですが、

いろいろ書きたいことはあるものの、あまりにマニアックな感想過ぎて受け入れられるかどうか。

一つ多くの人に勘違いがありそうな部分について

1特攻隊員の遺書について。必ずしも本心とは言い切れません。検閲の可能性もあっただろうし、それ以前に彼らは自分の本心を記すより、軍人としてどう書くべきかを考えるように教育されていました。しかし、その立場に立ったなら、死ぬ運命を受け入れた人なら、思うのは家族と国家の安寧のみであろうし、それについては本心だろうと思われます。

2特攻隊員は、突っ込むときに「おかあさん」などと叫んで突っ込んだとは絶対描かれたくなかっただろうということ。せっかく死ぬんです。国のために英雄としてそれにふさわしいかっこいい死に方をしたと書かれたいでしょう。敵前逃亡して背中から撃たれた兵士だって、上官は「勇ましく突撃してなくなりました」と家族に伝えるのです。死者を侮辱するような日本の軍記映画の描き方には反感を持っています。

3特攻に自ら進んで志願するものはいるか?多くが志願すると思います。かつてPKOが始まったとき、北海道と沖縄勤務のほかに、PKO参加について自衛隊員には希望を取ることになりました。PKOには8-9割の隊員が参加を希望したと認識しています。特殊な事情があるもの以外、全て希望したと考えていいと思います。

これはスポーツなど真剣に取り組んだ人ならわかると思うのですが、自衛隊はそれに加えたさらに特殊な雰囲気が充満しています。もちろん、そのように仕向けるわけですが、隊員の多くが、訓練などについて、むしろ苦しい訓練を求める傾向があります。大変な任務にむしろ進んで志願する傾向があるのです。これはやはりその場に立ったものでなければわからない感情でしょう。お花畑で花摘みしてる連中に口出せる世界でないことは確かです。

命が何より大事、と現在の人は多くが言いますが、江戸時代まで、いや、明治でも、まず自らの命より家族を守ることが大事であると言うのが一般認識であったと公言してはばかることがあるでしょうか?現代流に言うなら、長く生きようと思うな、よく生きようと思え、です。命を無駄に捨ててはいけません。しかし大切な目的のためには惜しまず使うほうが良いと思いますよ。

 4パイロットというものについて。戦場においてパイロットや士官は、何をおいても拘束監禁するか、かなわなければ殺すべきです。かれらは教育訓練に多大なエネルギーを要します。かれらは一度の戦闘を経るごとに貴重な存在となります。終戦まで生きて返してはいけない人材です。捕虜交換でも士官は断るべきです。もちろん下士官兵も先頭を経たものは貴重ではありますが、それは基本的に経験的なものです。教育には時間がかかります。パイロットは落下傘で脱出しても無防備ではありません。通常拳銃を所持します。脱出するパイロットについて、ジュネーブ条約に規定があったような気はしますが、混乱のうちに葬るのは戦術行動として適切な判断です。もちろん拘束を追及すべきですが。

5整備兵はもちろんですが、パイロットだって通常エンジンの異音には気づきます。整備兵なら、エンジンのシリンダーで何番目のシリンダーが爆発していないかまで診断できます。それほど特別な技術ではありません。エンジン音でわからないというのは未熟です。

航空機整備はもちろん整備兵にその責任はあるわけですが、最終責任はやはり機長、パイロットにあります。事前点検はパイロットの義務です。整備不良で落ちた場合も整備兵は責任をとることはありません。パイロットと運用会社が責任を取ります。それは車だって一緒です。そして、1ヶ月も訓練したパイロットなら、種類にもよりますがエンジン異音くらい気づけるはずです。気温が変わるだけで特に暖気終了までのエンジン音は変わるんです。命を預けるなら、ファンベルトの張り具合まで音で判断できるようになりたいですね。

6百田さんが書いているということで、ご存知なはずなんですが、ゼロ戦の21型から52型について、性能的には2割くらい馬力が上がり、5-10%速度が増しています。しかしこれ、特攻するには特記するほどの差とはならないと思います。ただ52型のほうが新しいというだけ。しかし52型は昭和18年正式採用です。開戦前なら生産体制も十分だったかもしれませんが、18年以降といえば作ってるのは素人。金属製の機体であればましという時代に入りつつありました。金属製の良い機体は本土決戦に備えて相当数確保されていたのです。鹿屋から特攻に毎日出撃するような時期、特攻にあてがわれていたものなら、新しい機体より古い21型のほうがむしろ信頼性は高かったかもしれません。特攻には着陸できないパイロットも参加させられていました。(うまくないというだけだとは思いますが。)機体だって離陸できて目的地まで飛べばいいという考えがなかったとは言えません。

ちなみに、エアレースに使用される飛行機の機体には軽量化のため布が使用されているそうです。ベニヤ板でも強度は十分ですね。

 

 

口径15mm以上の火器は一元管理---刀狩こそ世界平和を担保する。

常設軍は加盟国の保有する口径15mm以上の火器および全ての戦闘用爆発物を提供してもらいます。これは国でもつものだけでなく、個人で保有するものについても回収します。アフガニスタンのように、かつての武士の刀のように小銃を持つことが成人男子のたしなみといったような文化についても、説得して回収します。一方で逐次常設軍の装備としては統一されたものを導入し、元の兵器類を廃棄していきます。

つまり、加盟国では口径15mm以上の兵器を常設軍で一元管理することになります。

各国に15mm未満の火器の保有を認めるのは治安維持のためであり、更に踏み込んだ段階になれば10mm以上を常設軍で回収、拳銃以外は回収、と段階を進めていくのが目標です。

各国ではその段階にあわせて国内での武器の管理を強化していってもらいます。政府より強力な武器を民間人が保有すれば治安維持に常設軍を使用せざる終えません。政府以上の武力を国内組織が持たないように、刀狩を実施してもらいます。

密造は認めません。そのため、鉄類の管理をキロ単位で全て管理します。それは常設軍とは別に、加盟国理事会の下に組織を編成し徹底します。そこまで厳密にする必要はありません。大まかな鉄の流れを把握していれば、どのような組織も建軍するだけの兵器を集めることはできないでしょう。

口径15mm以上としたのは、その大きさは部隊装備という名まえがあるように、運用に部隊行動、ノウハウを必要とする大きさだからです。つまり、各国からその運用ノウハウを消滅させることを目的とします。

世界で機動艦隊を運用できたのは米軍と大日本帝国のみといわれます。機動艦隊保有が悲願である中国海軍は現在そのノウハウ確立の準備をしています。一度失われた日本の運用ノウハウを復活するには中国と同様の苦労を伴うことになります。事実、第二次世界大戦当時世界を席巻した日本の航空技術は、中断されたために、現代においてその復活に多大な労力を費やしています。山本五十六元帥のような不世出の天才に恵まれれば短期間の再生もありえますが、まさに奇跡です。

加盟国はその武器の運用ノウハウを全て失ってもらいます。そのかわり、絶対の安全を常設軍は保障しなければなりません。

日本国内が平和なのは国内に武器がないからと分析しております。武器があれば使おうとする人は現れます。米国が良い例です。SWATなど、フル装備の兵力を治安維持に用いなければならないのは、国内に兵器が流通しているからです。

世界の武器を一元管理できれば、国家間の戦争は防げます。

石原莞爾氏の著書に「世界最終戦論」というものがあります。天皇陛下を戴く日本と米国らしき(うろ覚え)自由主義国で最後の決戦をしなければならないだろう、核兵器らしき最終兵器により戦われるだろう。日本はそれに勝って日本の主導により世界の平和を実現しよう。というのが彼の結論だったと記憶しております。小粒な現代の政治家に比して、当時は一軍人ですらこのスケールでした。日本国憲法本来の意味を現代の政治家ごときに読み解けない原因がそこにあると思います。

しかし、パクスアメリカーナももう終わります。いまさらただの一国で世界を従えようということは不可能ですし、本来そうすべきではない。信頼できる国家として本来は常任理事国がなすべきだった大事業ですが、日本の主導により常設軍を創設し、その平和を実現して国際社会における名誉ある地位を目指しましょう。それは常任理事国入りではない。

第二次世界大戦において日本は安全保障において失敗し、敗戦国の汚名をきることとなりました。安全保障は国家と国民の契約の第一条。安全保障において失敗した日本が再び名誉を回復するためには安全保障で顕著な功績を残すほかありません。

私の構想する常設軍が完成した暁には、世界の秩序を全ての国に強要することができ、もう武力により他国に進出しようという国はなくなるはずです。国家間の戦争はもう起きません。

もし秩序に反する国が現れるなら、最悪翌日までにその国は消滅することになります。

できることなら、早期に圧倒的な実力をつけてそのような悲惨な結果を防ぎたいものです。

 

 

国連軍ではない、加盟国を確実に守ることができる組織

では今回は自衛隊を解散してまで建設する実力組織について一案を示したいと思う。

常設加盟国軍、以下常設軍と略します。

常設軍は、いくつかの加盟国より集められた兵士と装備により編成されます。

基本的には同じ出身国で部隊は編成します。コミュニケーションの問題です。訓練も同様です。おそらく国ごとに強い弱いが出てくると思いますが、適材適所としますので、運用でカバーします。旧帝国陸軍も基本は連隊所在地毎に部隊を編成しておりました。連隊により色が出てきます。

装備については当初加盟国がもつ口径15mm以上の火器及び全ての戦闘用爆発物を全て供出してもらいます。以後、加盟国において口径15mm以上の火器の製造・保有を認めません。核と同様、査察態勢をとります。また、担保するために各国の中枢に覆面職員も配置します。この施策に反した場合、一旦全ての火器を没収の上、常設軍がその加盟国の治安維持に当たります。

この施策は今後世界から戦争を無くすための核となる施策ですので徹底的に実施します。また、鉄もキロ単位での移送について管理を義務付けます。

15mm以下の火器については各国で治安維持等の必要に応じて利用可能です。

装備については常設軍で徐々に統一していきます。この装備にかかる予算は加盟国の分担金でまかないます。生産は加盟国の技術力に応じて分担します。基本的に全て加盟国内で生産は行います。おそらく日本は銃器や車両生産を加盟国にゆだね、重装備、特に電子機器や航空機、船舶の生産を担うことになると思います。武器輸出三原則などはそもそも憲法違反です。平和構築のために日本の技術が生かせるならむしろ積極的に提供すべきです。

人員については各加盟国から人口の1パーミル程度を出してもらいます。日本で言うと13万人程度。志願兵でまかなえない場合は徴兵してもらうことになります。加盟国人口10億で100万の兵力となります。この人数は常に常設軍に提供される人数です。入れ替え等で増えることはあっても減ることは認めません。国内の治安維持やPKOなどに常設軍で訓練された兵士を臨時に提供することは可能ですが、その際も常設軍に常駐する人員は人口の1パーミルをきることがないようにコントロールすることが必要です。だから実際には日本なら15万人程度を確保しておくことが望ましいでしょう。それでも現状自衛隊で20万人以上いるわけなので、負担は減ります。

この提供される兵士について、無制限責任とするか、当事者のみ無制限責任とするかは理事会で決定します。小生は資金については加盟国分担の無制限責任、人員は当事国のみ無制限責任とすべきだと思いますが、たとえば中国とブータンとか、インドネシアブルネイのように、国力に大きな差がある場合、配慮も要すると考えます。既に提供されている隊員(1パーミル)については常設軍司令部により無制限に使用可能です。

なお、この部隊において入隊基準は一律となります。男女の区別もしません。すべては兵士として入隊させ、昇進は全て隊内における選抜訓練によりふるいにかけられます。選抜訓練を終えた者だけが必要な教育を施されます。兵士、下士官、初級幹部、上級幹部、将官でその構成は区別され、それぞれのカテゴリーにおける昇進は成果を出した隊員のみが可能です。カテゴリー内での降格は年間数十パーセントに適用されます。

加盟国の分担金でまかなう給与は5万円位を考えています。国の経済事情により、これに対して追加で別に給与等特典待遇を与えることは妨げません。むしろ推奨します。

言語はそれぞれの国の公用語のほか、英語を使用します。英語とは英国語、米国語をベースとしますが、発音や活用、構文を簡便にするよう工夫を加え、より習得しやすい言語とします。部隊行動においては手話を多用し、無声指揮を推進します。下士官選抜訓練では装具類の取り扱いに加え、これらコミュニケーションの能力が問われます。

彼らは3分割され、3分の1が警戒戦闘等任務、3分の1が整備、訓練等、3分の1が休暇というようなローテーションを組みます。週に一日程度のオフのほか、年間で4分の1程度の休暇となります。

戦闘部隊は全体の半分程度。4分の1はサポート担当、4分の1は指揮統制機能ですが、情報部門を拡張、重視します。

情報収集により紛争の芽を摘み取り、不測の事態を防ぐことはこの戦略における重要な柱となります。

もう一つ、戦略打撃部隊が戦闘部隊の中に組織されます。これは、困難な状況を生み出す動きを起こした国家に、いち早く致命的な打撃を与えて組織的行動を停止させる重要な機能です。詳細は伏せますが、既に中国で開発が進められているとの非公式情報があります。先んじて開発、実現する必要があります。運用に際しては、事が起こったなら直ちにこの兵器を起動することで当該国の近傍の海空軍基地を壊滅させます。陸軍、首都、主要都市と、状況に応じてその範囲を拡大します。海上に展開した艦隊も攻撃目標となります。

情報部隊と戦略打撃部隊の活動は平時の活動の核となります。

この部隊が守るのは国境となります。国境が侵される、もしくはその危険性を予期できる状況が発生した場合、確認、警告等の順を追って対処するのは変わりませんが、一旦侵害行動が確認されたなら、この常設軍は自動的にその排除活動を開始します。

現代戦では基本奇襲対処となります。湾岸戦争のように時間をかけて兵力を集中される場合、集結完了を待たずに該当国には戦略打撃が与えられ、戦闘の継続は不可能になります。

 ROEを公表。攻撃的な勢力が領域を侵す、もしくはその危険性が明白な場合(通報もなく近づく場合)、その源泉を含め排除行動を開始する。

ROEに基づき常設軍が活動を開始するのと同時に加盟国の理事会に報告が上がり、終了条件を決定される。

理事会は国連総会で加盟国の3分の2以上の賛成による決議に基づいて国連事務総長から要請があった場合、常設軍にその活動の実施を命じることができる。規模と期間は警戒戦闘任務を妨げないレベルとし、それを超える場合は継続的な補充態勢もしくは別部隊を常設軍に編成しこれに当たる。

概略こんな感じでしょうか。

次回からここに書いた内容の意味について説明していきます。

 最終的に人口を制限することで土地、食料、資源での争いの種を減らす

 

70年を経て現実と理想の乖離を埋める日本のとるべき安全保障

これを書いている中で、やはりこの問題を考えるに当たって重要な砂川事件の裁判を読み返すことになった。実はこれをちゃんと読むのは始めてであった。お恥ずかしい

しかし、私の主張する内容というのはこの判例に見る結論とほぼ同じである。これを読んで、私の法律を読み解く力は最高裁裁判官並だと自信を持った(もちろん冗談であるが、ことこの件については間違いないと自信を持つことになった)。自民党の主張は邪道であり、こじつけであるし、共産党の主張(私が知るのは選挙チラシの内容程度だが)もまた邪道であることはおそらくいずれ主流の判断となろう。

あまり主張されないのが不思議なのであるが、

まず自衛権の有無について、「有する」と判断されている。これは前文に

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とあることからも明白であろう。

しかし、判例

「三 憲法第九条第二項が戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつて、これに指揮権、管理権を行使することにより、同条第一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起すことのないようにするためである。」

と示している。「国の交戦権は、これを認めない」である。ここで「侵略戦争」と踏み込んだ言葉を書いているが、憲法はそのような限定をしていない。9条では自衛のための戦争をすることも明白に禁止している。

これを矛盾と捉えるとしたら、自らの発想の貧しさを恥じるがいいだろう。

ここに国連軍の価値が出てくるのである。

日本には自衛権はある。しかし、日本国は戦力を放棄する。ここまでご理解いただけただろうか?

そして、

「六 憲法は、右自衛のための措置を、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事措置等に限定していないのであつて、わが国の平和と安全を維持するためにふさわしい方式または手段である限り、国際情勢の実情に則し適当と認められる以上、他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではない。」

と書いている。基本は国連軍であるが、憲法はこれ以外の手段も禁じていない。これは私の構想にとっては大きな後押しになる。

「七 わが国が主体となつて指揮権、管理権を行使し得ない外国軍隊はたとえそれがわが国に駐留するとしても憲法第九条第二項の「戦力」には該当しない。」

ここには外国と限定してあるが、これも憲法では書いていない、裁判官の付け加えた文である。わが国が主体となって指揮権、管理権を行使し得ない日本人を含む国際組織による軍隊であっても9条に違反はしない。むしろ、前文においてはそれら平和を維持するために必要な戦力に日本人は「全力をあげて」取り組むことを宣言している。

本来は国連軍がこの任に当たるべきであった。当時の日本人はそれに大きな期待もしたし、上記のように協力も誓った。しかしその国連軍が機能しなかったというのが誤算であり、対処を要するところである。

ただし、わたしが最高裁は用無しだから解散して最高裁裁判官は全員やめさせろと主張するのは、続く判断である。

「八 安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが、違憲であるか否の法的判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査に原則としてなじまない性質のものであり、それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする。」いわゆる統治行為論である。

行政の行う統治行為を法律に照らして違法合法を、特に最高裁については違憲合憲を判断するのが裁判所であり、「統治行為だから判断できない」なんて仕事を放棄するくらいなら辞めてしまえ。というのが私の主張だ。

上記通り日米安保条約は合憲であり、米軍の駐留もなんら問題はないとはっきり示せばよかった。これによって長沼事件裁判で誤った判断を下すことになる。

全体に下級審では正統な、実情に即した判決が出るが、高裁以上になると行政におもねる判決が増えるように思えてならない。三権分立の原則を脅かす、司法の零落ぶりが露呈する。

多くの命に関わる重要な判断を下す使命を負っているのである。出世はおろか、命をかけて一つ一つの判決を下してもらはなければ困る。

少し趣旨がずれたが、この判例が私の主張する内容にほぼかぶる。

1日本国は自衛権を保有する。

2日本国が指揮管理可能な戦力の保持を9条は禁止している。

3日本は安全を担保するために日本の指揮管理下にない戦力を駐留させることができる。

4日本は平和な国際社会構築のために全力を尽くす。

5本来その任は国連軍が果たすべきであるが、現実には機能していない。

ゆえに私は提案する。

自衛隊を解散し、守るべき秩序の保護を行動原理とする軍隊を創設して自衛隊をその核とすること。

その組織に必要な要素について日本は担保する。人も、装備も、金も。もちろん国際組織であるから加盟国を募り、それぞれ分担を求めるのだが、日本はその加盟国の防衛に何処よりも大きな責任を負うことで国際社会における地位の向上を図る。

国民はその負担に耐えなければならないことになるが、それこそが憲法に示された日本人の決意でもある。

次回はその組織が具体的にどのように運用されるべきか、もはやここからは空想小説の世界である。

来年のファンタジーノベル大賞を目指そう。

 

 

おかあさんの木---映画の紹介

今回は映画の紹介です。

硫黄島の遺骨収集が帰着されたようです。

150柱

アジア中に散られた200万の英霊のうち、どれほどが魂のみで帰国されたのでしょうか?

硫黄島は国内でもあり、開かれた場所ではないので捜索も可能ですが、多くの地で探すことすら困難でしょう。

今回紹介する「おかあさんの木」は、7人の男の子を出産しながら全て戦争にとられるとう壮絶な悲話となります。軍に配慮という言葉は無いのかと、私ですら思いました。

詳細は見ていただくしかありませんが、遺骨箱に名まえだけ書かれた札が入れられて戦死が告げられる母親を鈴木京香さんが好演しております。

 

 

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憲法に示された安全保障指針について---戦争に倦み切った世界中の人が理想とした世の中

ベトナムを訪れたとき、彼らと一緒に生活をして感じたことが一つある。

若者ではない。私より少し年上の人たちであった。

彼らの年代は、ベトナム戦争の混乱期に学齢期を迎えており、おそらく学校での勉強をあまりしていなかったのだと思われた。見ていると彼らの上司というのは私より若い人たちであった。

言葉が通じないので観察とまさしく感じたものでしかないのだが、農耕民族的な年長者が敬われる国であるが、彼らはそのようなことを意に介することも無く、幸せを満喫しているように感じた。

何なのかと思ったのである。一緒に暮らす仲間は変遷したが、感じる雰囲気は同じものがあった。彼らは、戦争が無い、理不尽な恐怖に晒されることが無いだけで幸せを感じているのだと感じた。戦争に倦むという状態になった人々にとって、戦争が無いことが幸せ。おそらく勝敗すら問題ではなかったかもしれない。

各国を回って、日本人に対する敬意のようなものを感じたのもベトナムだけであった。フィリピンでは敵意のようなものを見せる人はいたが、その人はフィリピンが始めて独立したのが日本軍の庇護下であったことも知らなかった。

ベトナム人のあの余裕のようなものは何なのかわからないが、思い返してみると、ベトナムはフランス、米国、中国と戦って追い返し、その昔はチンギスハンすら追い返した凄い国なのである。しかし、日本はさらにロシア、イギリス、米国、フランス、オランダと、絶頂期の欧米列強と中国を同時に敵に回して長期にわたり戦い抜いたうえ、かつてベトナムのように元を追い返した国なのであった。こんな国、アジアでは日本とベトナム、時代は違うがトルコやイランくらいのものではないだろうか。イランも最近までかなり突っ張って生きてきた。何気に中国は征服王朝が長い。

日本は1937年夏の盧溝橋事件以来、1945年夏まで、8年の長きにわたって戦争を継続していた。人口の一割を戦場に駆りだし、3%を犠牲にした。爆撃におびえ、わずかな配給で食いつないでいたのである。

そんな状況から解放された人々は、おそらくその厳しい生活にもかかわらず幸せを満喫したのだと思うのである。いえ、これはベトナムの人たちを見たところからの推測に過ぎないのですけど。日々おびえることの無い生活、日本人として、もう二度と戦争をしたくないというのは誰の心にもあった真実だったと思う。

日本は敗戦し、GHQの指導下にあったことは事実であるが、おそらくそうでなくても戦争を無くすように努力する方向に進んだと信じる。それは、当時の日本人の悲願であり、例外なく支持されたはずである。戦争に倦んだ人々が追求した理想が、先んじて完成した国際連合憲章に明文化されていた。戦争に倦んだ日本人もその精神を受け入れることに異存は無かったと思うのである。

憲法の前文については、前半部分で国家運営のあり方とやり方、後半部分で安全保障指針について述べられている。

具体的には、

国防方針

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」

国家目標

「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい」

実施要領

国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する

 

この崇高な理想と目的というものは、前文にちりばめられた国民主権平等主義、平和主義等を指すと考えられるが、言葉が明確にこれというものを示していないので解釈の余地があるだろう。

安全保障方針としては、更に条文において国家がなすべき具体的行動が示されているのであるが、それが第2章である。

 

二章 戦争の放棄

 第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 
正直言って、これは具体的行動を示しているだけでそれほど重要ではないというのが私の考えなのだが、日本人は改正派も護憲派もやたらとこれにこだわる。

 憲法を読み解く上で、もちろん重要なヒントはここにあるので紹介すると

1 国権の発動たる 戦争と、武力による威嚇または武力の行使を

  国際紛争を解決する手段としては放棄する。

2 陸海空軍その他の戦力は保持しない

3 国の 交戦権は認めない

ここに強調され、一貫しているのは、日本が国としてやらない、日本が国家として本来認められているものについて実施しない、放棄するとしている点である。

これに相反するような内容が前文にあるのだが、それが

「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」である。

平和主義を標榜する人は、国家として平和を維持することで達成するなんてことを言うようだが、70年の成果を見ればその非現実性は明らかといえる。むしろ冷戦後国際社会は攻撃的になってきている気すら私はするのである。

前文は積極的に国際社会の平和構築に関わることを宣言しながら9条では戦争について全否定なのである。これは相反するようであるが、思い出してほしいのが国連軍の存在なのである。

国際連盟態勢で第二次世界大戦は防げなかった。国際連合態勢の最大の特徴は国連軍の定義であろう。

前文に言う平和を愛する諸国民とか、平和を維持しようとする国際社会とは、国際連合態勢を言うと捉えることに異存がある人はいないだろう。

つまり、日本は戦争も交戦権も武力も放棄しますと、しかしその安全は国際連合が守ってくれると信じての平和主義で、日本はその平和構築活動に全力をもって協力します。と宣言しているのである。

どうであろうか?なぜか日本人の憲法解釈というのには身勝手な一国平和主義や、自衛権とか集団安全保障とか、憲法でまったく語られていない思想や言葉が飛び交っていて飛躍する方向がばらばらだからまったく違うことを言う人が出てくるのだが、上記理解と解釈ならば憲法に使用されている言葉に当時の国際情勢を重ねているだけで、異論を挟む余地は無いと思う。しかも現実的である。

つまり、この解釈どおりなら、国際平和の構築も可能であるし、日本もその国家をおかされることも無い。そして国家目標としている名誉ある地位も自然と得られるはずであった。

これこそが日本国憲法の安全保障指針であると信じる。

次回は理想は理想として、そこからずれてしまっている現実に対して、日本がいかにすべきかという考えについて述べたいと思う。